両親を失い、叔母の許に身を寄せていた勝弥(かつや)が、上野寛永寺の黒門前で、殿様のお目に留まったのは14歳の春。その日から上屋敷に上がり、小姓としてお側近くに仕えることになった。
殿様のご寵愛深く、勝弥の枕が外れていれば直してくれたり、しどけなく胸元が開いていれば、風邪をひいてはいけないと自分の白小袖をかけてくれたりと、恐ろしくなるほど可愛がられていた。若殿にも漏らさぬお家の大事まで話されたというのだから、信用もあつかったのだろう。 もちろん、勝弥はご寵愛を深く感謝しており、殿に何かあれば潔く殉死する覚悟を決めていたのだが、世の中というのは分からぬもの。
勝弥・18歳の秋頃、殿の心がほかの者に移ってしまい、花なら今が盛りと、少しばかりうぬぼれていた勝弥は傷心のあまり自害をも考える。 そんな折、勝弥はひょんなことから母の遺書を見つける。そこには父の仇の名が! これも運命というものかもしれない。ご寵愛深い頃なら仇討ちのための暇(いとま)乞いも許されまいが、今なら好都合ではないか。 さっそく仇討ち願いを申し出ると、首尾よく仇を討った折には五百石加増のお墨付きと、旅費までいただき、その寛永9年10月12日、勝弥は家来5人とともに、仇討ちの旅に出る。
日を重ねて19日、到着した京都で、勝弥は偶然、かつて同僚だった片岡源介と出会う。源介は、今は目を病み、物乞いをするまでに落ちぶれ果てていた。 「前に何度もラブレターを貰ったのに、ごめんねー。あの時は大殿のご寵愛を受けていたから、どうしようもなかったんだよ」 勝弥はゴロニャンと源介に膝枕。やがて眠ってしまった勝弥に、なにも出来ないまま一晩中見守る源介であった。 だぁって、しょうがないじゃん? 今の源介は甲斐性なしなんだから。 翌朝、勝弥に唯一の財産でもあり、自分の魂ともいえる、名刀を仕込んだ杖を差し出すあたりが、彼の矜持なんだろうねえ。 「この刀で本懐を遂げたまえ」 「仇を討ったら、また会おうね。それまで預かっておくから」 勝弥もまた、自分の刀を源介の手に残し、仇を求めて出立するのだった。
勝弥主従がそれぞれ商人に身をやつし、苦労の末、ようやく仇にめぐり会えたのは翌年3月も末のこと。 ところが、相手は小児医者になりすまして近隣の村人の信頼を得ていたらしい。夜半を待って、見事、本懐を遂げた勝弥主従だが、村人に奔流する川に追い詰められてしまう。 もはやこれまでと、勝弥が覚悟を決めたとき、救いの舟が。 なんと源介は、陰ながら勝弥を見守っていたのだ。 すっかり源介にときめいていまう勝弥くん。 でも、暇乞いをしたからといっても、それは長期休暇みたいなもので、勝弥はまだ殿様のもの。一緒にときめいてしまうわけにはいかないのだ…あーあ。
とにかく父の仇は討ったことだし、勝弥は源介とともに意気揚々と国許に帰る。 事と次第を報告すると殿様がたいそう喜んでくれたのは、一度は愛した勝弥だから。 勝弥を助けた源介までご加増され、なんと、源介は勝弥まで賜ってしまうんだから、棚ボタってやつ? わあい。ヽ(^。^)ノ 2人は天下晴れて兄弟分となり、思う存分ときめいたのだった。 はい、お後がよろしーようで♪ |