本館迷夢的西鶴男色大鑑 目次衆道辞典

男色大鑑 第五巻
3、思ひの焼付は火打石売
<おもいのやきつけは ひうちいしうり>

さて、今回は実在した若女形の初代・玉川千之丞が若かりし頃の話である。

玉川千之丞=万治3年(1660年)刊の京都の役者評判記『野郎虫』(イケズなタイトルだ…)に
よると、京都の中村座で当代随一と称された若女形で、上方や江戸でも相当な評判をとった。
没年は35、6歳。

芸といい、容姿といい、とにかく万事にすぐれている千之丞だから、夜の勤めも引く手あまたで、10日も前から予約が入る売れっ子若衆だった。
…たぶん床上手でもあったのだろう。(^^;
思いをかける身分の低い者には、こっそりと情けを深くかけ、世間の噂になるのも気にしないっていうのも売れっ子の余裕。
なんでも千之丞は「初枕」なる日記をつけていて、猛々しい侍につきあったことや、鬼のような男を和らげたことなどなど…を客を楽しませた折々のテクニックを書きとめていたという。
千之丞が少し酔ったりする風情は格別で、うっすらと朱を刷いた横顔に恋焦がれ、神護寺・南禅寺・東福寺などなど名だたる寺の坊さんや、商家の手代などが家を失ったりしたそうな。
……これだから男ってヤツわっ。

ところで、人通りの激しい橋の下、五条の川原で寝起きしている男がいた。
この男、昔はひとかどの身分だったが、ふいと失踪して自らホームレスとなったヤツ。
川原で拾った火打石を売り、売れ残れば夕方には捨ててしまうというその日暮らしだが、男はすっかり満足していた。
男は、千之丞が若女形になったばかりのころから、深く情けを交わした仲で、今でも衆道の道だけは忘れることができなくて、『玉川心淵集(ぎょくせんしんえんしゅう)』なる全4巻の書に千之丞の四季の身持ちを書き綴っていた。衆道をたしなむ人のバイブルにも匹敵する書だそうだ。(^o^)

長く行方が知れなかった男の消息を伝え聞いた千之丞は、ちゃんとその夜の客をもてなしてから、その川原に尋ねて行った。
霜の降る寒い明け方のことで、千之丞は袂に盃を入れ、燗鍋(かんなべ)を提げて、男の名を呼びながら川原で寝起きするホームレスの間を探すが、応える者はいない。
それでも、千之丞はようやく男を探しだし、
「さっきから呼んでいるのに、なんで返事をしてくれないのさっ」
顔を確かめるや大泣きしてしまった。
しばらくは過ぎ去った日々のことを話しながら酒を酌み交わしていたが、やがて東の空が白んでくる。薄明かりのなかで見た男の身なりに、昔の栄光は何一つ残っておらず、みずぼらしいばかり。
「こんなに変わっちゃって…」
男の足をさすると、あかぎれから血が滲み出し、一層痛ましい。
千之丞はいろいろ労わりながら添い臥ししていたが、いよいよ芝居の開場を知らせる太鼓を打つ時間も迫ってくる。
嗚呼、一目を忍ぶ身の悲しさよ。
「あとで迎えにくるから待っててね」
一言残し、千之丞は名残惜しげに帰っていった。
だが、自ら進んで世捨て人をしている男にはありがた迷惑ってもの。
「俺の楽しみに水を差した」とばかり、男はさっさと姿を消してしまったのだった。
…う〜ん、千ちゃん、ふられちゃったんだね。

後日談として――
千之丞はこのことを悲しみ、都の中を尋ねてみたものの、ついに男の行方は知れず。残っていた火打石を集めて、東山の新熊野(いまぐまの)の片隅に塚を築き、男の定紋であった桐の木を植えた。さらに、亡くなった人を弔うかのように近くに草庵を作り、法師を置いて、そこを守らせた。ある人がこれを名づけて「新恋塚」という。

 タイトル「思ひの焼付は火打石売」は、千之丞に恋の火を焚きつけたのは、火打石売りに
落ちぶれた男だったの意。
ラストの「世になきひとを弔うごとく」の件は、男へのあてつけとも、思慕とも読みとれるのだけど、
さあ、あなたはどちらを取る?(笑)
尚、『玉川心淵集』は現存するものなく未詳。



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>>>つづく

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