本館迷夢的西鶴男色大鑑 目次衆道辞典

男色大鑑 第五巻
2、命乞いは三津寺の八幡
<いのちごひは みつでらのはちまん>

金襴や金糸入りの着物など着飾る役者もいるが、それは身の程知らずというもの。たくさんの給金を稼ぎながら、結局借銭の淵に沈むというのが、この道頓堀のならわしである。
しかし、なかには欲を離れた子供役者の本当の情愛ということもあるもので、これだから世の中は面白い。

――ってわけで、今回の舞台は大坂は堺の町。
その堺のメインストリートに長崎貿易で富み栄えた男がいた。
このオヤジ、七十余歳まで風邪もひかず、薬の世話になることもなく、金勘定ばかり。生まれてこの方、色里を見たこともないという堅物で、世間づき合いも悪い。もちろん恋など問題外。
そんな男が、芝居見物に行ったというのだから、雨が降ってもしょーがないよね。
そう、雨は芝居の早々に降りだしたのである。それも冬の寒空から。
しかしオヤジは、目当ての平井静馬の演目を見るまではと、びしょ濡れになって見届けた。
さらに、静馬の帰り道を待ち、その後を追う。
どうやら何か思い悩んでいる様子の年寄りにストーカーされる静馬だって気にかかる。
「オヤジ殿のお宅はどちらです?」
男はそれには答えず、独り言を呟いている
「恋とはこんなにつらいものなのか…ブツブツ」
あ、めまい…。
オヤジ殿、それわ、老いらくの恋ってヤツでせうか?
静馬は懐紙の間から6、7枚の芝居の入場券を取り出して、「また見においでよ」と言うと、オヤジは嬉しさのあまり何も言い出せなかった。

――ただで芝居の切符…嬉しいかも……じゃなくてっ。

冬の夕暮れ時。道頓堀の橋を渡れば、川風も冷たく吹きつけてくる。
家に入る静馬を見送ったオヤジは、どうにも仕方なく近くの茶屋に立ち寄った。
なにごとか悩んでいるオヤジの顔つきを見とがめた茶屋の亭主が尋ねると、逡巡しつつ、ついにオヤジは、静馬に恋焦がれて命も危ない身の上だと白状する。
すっかり同情した茶屋の亭主が静馬にこっそり耳打ちしたところ、
「僕に思いをかけてくれるなんて、どんな老人でも無下にはできないよね」
お気に入りの着物に着替えて、その茶屋に出かけていった。
オヤジの身なりは野暮ったく、とても若衆に恋するようにはみえない。
静馬は「縁とは妙なもの」と言いながら酒を酌み交わし、酔いにまぎれて恋をしかけたり、添い寝するようにしむけたりしてみたが、このオヤジは口の中で念仏を唱えるばかり。
やがて静馬が問いただすと、実は彼に思いをかけているのは、自分の一人息子なのだと告白。
「いつ死ぬかわからない有り様なので、お情けに、ほんのわずかの間でも会ってやっていただきたいのです」
哀れに思った静馬に否やはない。オヤジは喜んで、今宵夜がふけてからここに連れてくると約束して帰って行った。

その夜更け、病人の乗物が担ぎこまれた。だが、静馬の前に現れたのは14、5歳になる美少女だった。
えええーっ、息子じゃないの?!
薄桜色の着物を着て精一杯のオシャレをしてきたのだろうが、帯は巻きつけたまま結びもせず、ほどいた髪は中ほどで結んだだけ。それでも美しい娘だった。
恥ずかしがる様子もなく、「うれしい」と、娘は静馬に微笑みながらぴったり寄り添う。
僕は衆道の約束をしているのだから道に外れてしまう……。
そ…そうなの?
静馬は思い悩み、しばらくは何も言えないでいた。とはいえ、つれなくすれば娘の病がさらにひどくなるかもしれない。
静馬は気が進まぬながら乱れ姿となり、娘と情を交わすのだった。

「これからは僕は貴女のものだから、病がよくなったらいつでも会えるよ。あの世に行ってもこの約束は変わらないから」
一夜だけの交情ながら心のこもった言葉を交わして別れた明くる朝、娘は16の若さで眠るように死んでしまう。
僕のせいかしら。一夜の情けが娘の命を奪ってしまった――。
そういえば、あの世までも…なんて約束しちゃったけど、あの娘が迎えにきたらどうしよう…。
ひどく悔やみつつ、三津寺の八幡にお参りした帰りのことだった。
静馬は普段の着物を着ていたのに、それを見た人は、「白衣の袖も寒々として、頼りない顔つきだった」「もしや気でも狂ったのか」と噂していたが、その暮れ方、難波の夢と消えてしまう。
まだ「春を待つ雪の梅」のような若さだったのに、昔をしのぶ物語になってしまったんだねえ……。

 三津寺の八幡…現在の大阪市南区八幡町の御津八幡宮。
平井静馬…正保・慶安ごろの若衆歌舞伎時代の若衆方。大阪塩屋九郎右衛座の花形として活
躍。容姿端麗で舞・踊りの上手。



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