人生50年なんて言われていた時代だから、今で言えばまだ働き盛りなんだろうけど、この方、ちょっと鬱っぽかったのかもしれない。 ふと、今までの生き方に疲れちゃって、家屋敷から商売まで財産すっかり腹違いの弟に押しつけて、賀茂の片田舎に隠遁した男の独白からこの物語は始まる。 この庵 (いおり)周辺の風光明媚な四季の風情がたっぷりと描写されているんだけど、退屈なので、はしょるとして。 面白いのは(呆れるのは?)、独り寝の淋しさは覚悟していたとか言いながら、色の道を忘れたわけじゃないんだし、「時雨れる日などは」美少年でも訪ねて来ないかなー、なーんてぼやいてみたり、匂い油で鬢 (びん)を撫でつけながら、「まんざら見捨てたしゃないのに、見せる相手がいないんじゃつまらん」とか、まだまだ色気ムンムンで、殿方は幾つになってもしょーもない生き物ってわけで…。ま、いいけど。
もっとも色気では、女の方も負けてはいない。 普段は森閑としたこの辺りにも、桜が咲けば花見の人がやってくる。 娯楽の少ないこの時代、嫁や後家らしき女子(おなご)を交えてのドンチャン騒ぎ。連日のように押しかけて、その一帯を酒浸しにしてしまう。 あげくに、艶っぽい女をダシにして、塩を貰いに来たり、「ない」と追い返せば、今度は箸を借りに来たりと男にちょっかいを出す。 ようやく日が傾いて帰るかと思えば、酒が入っている女たちの帰り支度が、またなかなか凄まじい。 木綿足袋を脱いで袂に入れて、銀の笄 (こうがい)を抜いて楊枝に挿しかえる。紅 (もみ)の腰巻をまくり上げ、着物の襟が汚れるのを嫌って首筋を深い抜き衣紋にするなど、来たときとはうって変わって見苦しいばかり。…うーん、膝上までたくし上げた真っ赤な腰巻からナマッチョロイ足がニュッって…こりゃ同性としてもハズカシイ。 もっとも、これを生垣越しに覗いている男も男だと思うけど。 で、男は「だから女は嫌いなんじゃっ」と決意を新たに固めたりするんですな。
さて、暇を持て余した男は、近所の子供たちに手習いなぞ教えたりしていた。 その中に、篠原大吉と小野新之助という生徒がいる。二人はともに9歳…まだガキである。 しかし、この二人、とにかく仲がいい。 特に大吉は、新之助をとことん大切にしている。 途中の橋が傷んでいれば、新之助を背負って川を渡る。どうやら当番制らしい水汲み、落葉焚き、座敷掃除まで一人ですませ、新之助には何もさせないという徹底振り。 ……こんなだんなが私もほしい…。 その間、新之助はといえば、懐中鏡を見て前髪や後れ毛を撫でつけたりしているわけだ。 ある時なぞは、男がタヌキ寝入りをしていると、 「この前のところ、まだ痛む?」 なーんて、新之助が大吉の手を握り締めたりしている。 「ぜんぜん平気さっ」 やおら肩を脱ぐ大吉くん。そこには千枚通しか小刀で突いたらしい「若道 (じゃくどう)の誓いのしるし」とやらの痕が紫色に腫れあがっている。 「ぼくのために痛い思いさせてごめんね」 見つめ合いながら、ほろりと泣いて見せるあたり、新之助くんの方が一枚上手か。 そんな様子を盗み見していた男も、俺が男色一筋だから、自然と生徒たちもちゃんとケジメをつけるようになったのと、ご満悦。
ところで、この二人、なかなか美しく成長したらしい。 若衆盛りになってからは、僧俗男女に限らず、恋わずらいに陥ったという。中には焦がれ死にする者まであったというから、なんとも罪深い超絶美形カップルで。 御年八十余歳になる行者も、二人に焦がれた一人だった。 この行者、今までの修行も忘れての恋わずらい。 人づてにそれを聞いた大吉と新之助だが、どちらが行者の本命なのかは分からない。 そこで、理解しがたいのだけど、老齢である行者にほだされてか、二人連れ立って、行者の住む草庵を訪ねてみれば、案の定、「花も紅葉もお捨てにならず」二人とも寵愛して、長年の思いを晴らしたそうな(これだから男ってやつぁ)。
こののじじい、気がすんだら罪の意識に駆られたのか、失踪してしまうのだけど、しっかり未練たらしく「二人を愛しているけど、我慢して旅に出るよ」みたいな和歌なぞ、竹に挟んで残していく。幾つになっても恋は盲目なんだねえ。 二人はその竹で、二管の横笛なぞ作り、行者を慕って奏でたなんて逸話もあるんけど、あんたたち…謎すぎっ。
しかし、人生とは分からぬもの。14歳にして突然、新之助が死んでしまう。 一人残された大吉は、悲しみのあまり岩倉山に閉じこもり、手ずから黒髪を落としてしまう。ああ、もったいない…。
ところで、手習いの先生たる男は、あれからもずっとサミシイ独り寝を続けていたのだろうか。衆道仲人でもしてたりして(笑)。長く見守れるようなカップル成立をお祈りして、この巻、了。(巻1-2) |