今回は少し長めのストーリー。 母川采女(もかわうねめ)、18歳。人柄もよく今風の若者である。 その彼が伊丹右京(いたみうきょう)という美貌の少年に一目惚れしてしまった。 それはもう、「心取り乱し、魂もここになく」というほどの惚れようで、ついには寝込んでしまうほどに。 …そんなに想っているなら、当たって砕けろっ、行動に起こせって? いやー、采女にはすでに志賀左馬助(しがさまのすけ)という念友がいるから…マズイのかな、やっぱり。 彼はすごくいい人なので心配する友人も多く、彼らが誘い合って見舞いに来た。 その中に、なんと采女が恋焦がれる相手も交じっていたから、さあ大変。 今まで必死に恋心を隠していた采女なのに、動転してしまって友人たちにすっかりバレバレ。 当然、同席していた左馬助にもばれてしまう。 類は友を呼ぶというけど、この左馬助もいい人で、 「俺のことなら気にしないでいいから。いっそ俺が仲立ちしてやるからラブレターを書けよ」 なんつー太っ腹! これも男の友情ってヤツ? さっそく熱烈恋文を左馬助に託す采女だった。 善は急げと左馬助、ちょうど桜の花など眺めていた右京くんに手渡すと、 「僕のために悩んでいるなんて…」 その日のうちに返事をよこし、それを読んだ采女はけろりと元気を取り戻す。
しかし世の中はままならぬもの――右京に焦がれているのは采女だけではなかったのだ。 この細野主膳(ほそのしゅぜん)という男は無頼な行動派! 知り合いでもないのに人を介することもなく待ち伏せるは、あの手この手でかき口説くはと、うるさいうるさい。 追いかければ逃げたくなるのが人の常で、右京は完全黙殺。傍若無人がウリの主膳がさすがに消沈。 ところが、こんな男にも「俺にまかせておけ」という類友がいた。 類友だけあってこの男も主膳の上をいく強引なヤツで、なかば脅迫まがいな恋の仲立ちに右京が頷くはずもない。 腹を立てた類友ってば主膳をそそのかして、 「あんなヤツ切り殺して、今夜中に逃げちゃおうぜ」 それを聞いた右京はもはや逃れられぬと覚悟を決めるが、気になるのは、まだ手すら触れたこともない采女のこと。 このことを知らせなければ采女は恨むだろうし、知らせるのは助太刀を頼むみたいでイヤだし……。 思案黙考ののち、「彼を巻き添えにすることもないか」と知らせないことにした。
時は寛永17年4月17日、折からひどい雨が降る夜のこと。 右京は「雪も恥らうような薄衣(うすぎぬ)をきりっと襟を合わせて着込み、錦の袴を裾高にはき、いつもより薫物(たきもの)を香らせて」、主膳のもとに向かった。 いざ切り結び、右近は一気に右肩から乳の下まで切り下ろした。それでも主膳は左手でしばし切り結んだが、初手の深手の痛みについに倒れた。 右近は、さらに類友にも一太刀あびせ、燈火を吹き消すが、この太刀音に気づいた宿直の侍たちによって捕らえられる。 取調べののち、一度はお預けという御意となる。 そこに怒鳴り込んだのは主膳の親! そりゃどんな息子でも親としちゃ可愛いもんだしー、殺した方がお咎めなしってーんじゃ納得いかんのも分かるけどさ。 母方の縁筋にある、何やらお偉いさんもねじ込んで来て、ついに右近は切腹することに!!
この事件の前日に休暇をもらって母の所に行っていた采女に、急ぎの手紙で一部始終を知らせたのは、彼の念友たる左馬助。 「この朝、浅草の慶養寺で切腹」の知らせに、慌てて采女が寺に駆けつけたのは夜も白々と明ける頃。 そのうち見物人が集まって来る。采女は身を潜めて右京が来るのを待った。 やがて、大勢の警護の者に付き添われた新しい乗物が外門に着いた。 中からゆったりと現れた右京の様子は、はかない露草を一面に刺繍された白い唐綾(綸子)の着物に、浅葱色の裃(かみしも)という華やかないでたちだった。 寺の境内には咲き遅れたらしき山桜がちらほら残っている。 右京はそれを眺め、 「残った花が後春を待っても叶わないけど、これも人の心のことだから」 というような詩(漢詩だ!)を吟じて、ひっそりと采女のことを悲しんだ。 いよいよ切腹の段になると、美しい鬢髪(びんがみ)を切って畳髪に包み、母への形見として介錯人に託し、 「春は花 秋は月にとたはぶれて 眺めし事も夢のまたゆめ」 短冊に辞世の句を書き残して、直ぐに腹をかき切った。 介錯の太刀がひるがえる――。 そこへ采女が駆け込んで来て「頼む」と声をかけるや、腹をかき破ったので、介錯人はこれもまた首をはねた。 今年16と18という若い身そらで、いと哀れ…。 さらに初七日の日には、采女の念友・左馬助までも世をはかなんで自害してしまう。 悲劇が悲劇を呼んでしまったんだねえ……。
このお話は『雨夜物語』を典拠としている。『雨夜物語』は寛永17年4月に実際にあった事件を題材に していて、そのとき「伊丹右京」くんは16歳だったそうな。 |