「ティム? ティム……ティム…落ち着け……落ち着いて!」 牧師が素早く、かたわらに膝をついて、床の上にティモシーの上体を押さえることに手を貸した。 「ティム…もう恐がらなくていいんです。ここにいるのはきみのお父さんですよ。この手はきみのお父さんの手ですから……ほら、恐くないでしょう?」 落ち着いて囁き続ける。幾度も幾度も。 やがて、ティモシーの顔から感情が剥落した。全身に張り詰めていた力が緩む。 「ぼくは
ダリュー
じゃない……」 繰り返し呟く少年の瞳を、牧師はじっと覗き込んだ。 「そうです…きみはティモシー・ラッセル、それでいいんですよ」 ティモシーの視界が、深く澄んだ闇色に覆われた。 その闇色は暖かく慈愛に満ちている。恐がることはないのだと、意識のどこか遠いところが囁いた。 恐がることは、何もないんだ…… 「ティム……忘れてしまいなさい。ダリューも…ダリューに関わることも……みんな忘れてしまいなさい。きみが受けた肉体の痛みも、心の痛みも、すべてわたしが引き受けます……だから…忘れていいんです。……呼吸を楽に……そう……目を閉じて……」 躰がふわふわ軽くなる。深く染み込むような彼方の声。心地よい眠り…… 「忘れていいんです」 睫毛が触れそうに顔を寄せて、囁くように呟き続けた牧師は、やがてゆっくり躰を起こし、 「もう押さえている必要はありませんよ」 どこか痛みを堪えているような固い笑みで頷いた。クレイグはぼんやりと、その横顔と動かなくなった息子の躰を見比べ、まだティムの躰を押さえている手を離す。 「眠っているだけです」 片膝をつき、弛緩した華奢な躰を抱き起こす。腕と膝にかかるずっしりした重量感が意外だった。考えてみれば息子を抱き上げたのは遠い昔だ。 「――何をやった?」 「申し訳ありません」 「だから、何が?」 「美味しいシーンを横取りしましたから」 明らかに牧師は話をはぐらかし、胡散臭そうにこちらを見ているウォレンに、含みをもたせた笑みを向けた。 「では、ダリューの手当てをしましょうか」 リンフォードは極めて手際よく応急処置を施した。胸部を強めに締め付けた包帯の最後を縛りながら、 「血で汚れたシーツの言い訳までは引き受けられませんよ」 とは、余裕の発言であったろう。 ウォレン・カイブルの方は、いまさらながら牧師のタヌキ振りを意識してか、ますます胡乱を募らせた表情をしている。 「で…ダリューはどの程度まで回復したんです?」 「――彼の時間を十年遡った程度に」 ウォレンが手を伸ばし、額に張りついた金髪を剥がしてやると、気持ちよさそうに淡緑の瞳が閉ざされる。 「もっとも、今はさらに五年分ほど若返ったようですけどね」 「では……あなたの目的は、図らずも達せられたことになりますね」 さり気ない問い掛けが、ダリューに奪われていたウォレンの視線を引き摺り上げた。 「――何が言いたい?」 ウォレンの声には、他人を跪かせてきた者独特の威圧と、それを楽しむ傲慢が混在していた。 「だってダリューにドラッグを与えたのは、あなたでしょう?」 息詰まる緊迫に凝っていた空気が震える。 クレイグは信じられないというように目を剥いた。 「あの家から連れ出そうとしたのも、あなたが誰かに命じたことでしょう? それで…どうなさるつもりだったんです?」 「……牧師さんはミステリーが好きなのかな。名探偵を気取って何をするつもりかね?」 毒々しい侮蔑の表情がウォレンの口元に漂う。 「わたしはこの子の親代わりだ。父からこの子を守ってきたのは、わたしだ。この子を愛してやった。わたしがいなければ、とっくに消えているか、少しはマシな選択として、父と同じように狂気に走るか。……どちらにせよロクなことにはならなかった筈だ」 ウォレンの整った顔が束の間、哀しそうにくもる。 「わたしはこの子を…ダリューを愛しているんだよ」 「――では…あなたの愛は、カイブル家の重さの前に屈したということですね」 リンフォードは腕を躰の両側に垂らし、何気ないふうに佇んでいる。 ワイヤー並みの神経の持ち主といえど、大物相手の駆け引きは緊張するのだろうか。心なしか顔色が白い。 その片手には、ハンカチに包んだ血染めのナイフがある。そしてこの上もなく美しく微笑んでいた。 その微笑みはいつもの微笑みとまったく同じだったが、明らかに質が違っている。身を凍らせる甘い凄味が、見ている者の背筋に寒気を与える。 「それは否定しない。その名前の前には致し方のないことだ――それが兄とは相容れないところだったのだが。それで…牧師さんがどうしたいのか、今だに分からないんだが」 「ええ……あなたは分かっておいでだ。わたしごとき一介の牧師が告発しても、到底カイブル家には到達しないことを」 「ほう……それで?」 急に牧師の口調が変わり、楽しげにすら感じられた。 「……お近付きになれて幸運でした。そのうち、エミグラントにも足を伸ばしてください。町を挙げておもてなししますので」 信じられない思いと憤りに、クレイグは僅かに顔を伏せた。腕の中の重みと温もりを抱き締める。 「……なるほど」 ウォレンは毒々しい侮蔑と嘲笑を浮かべ、尊大に頷く。 そのとき、ドアをノックする固い音が、息苦しいまでの緊張を破った。 「退院の許可が下りたようだ」
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