「ウォレン・カイブルが関係していると考えているんですか?」 フラットに戻って、澱のように堆積した疲労と緊張を激しく降り注ぐシャワーでこそげ落として出てきたクレイグに、リンフォード牧師が尋ねた。 「あんたもそうだろう」 牧師が優雅な所作で、コーヒーをマグカップ二つに注ぎ分ける。 「勝手にキッチンを探険させてもらいました」 「あんたは初めから考えていたんだ」 「ミルクが見当らないのですが。あなたは砂糖抜きですよね」 とんちんかんな答えに、わざと人を苛つかせているのではないかと牧師を睨んだが、そうでもないらしい。冷蔵庫から顔を上げた牧師が「ええ」と頷いた。 「誤解しないでください……ティムのこととは別です」 牧師は静かな口調でそう言いながら、片方のマグカップをクレイグに差し出した。 「熱いですから気をつけて」 クレイグは、そしておそらく牧師にしても、互いの腹の内を探り合っていたのであるが、分が悪いのは、ダリューがエミグラントに滞在していた事実を抱える牧師の方であろうか。 もっとも、ソファにくつろいだ当の本人は相変わらず泰然自若として、自ら入れたコーヒーなぞ飲んでいるのだが。それに倣って一口啜ったクレイグは、思わず「うげっ」と呻いた。 「……ちょっと濃かったかな」 「かなり、な」 まさに泥水(湯だな)のごとき代物だった。 「すみません……コーヒーはあまり入れたことがないんです」 妙に子供っぽい仕草で恐縮してみせる様子に、つい微笑みそうになる。 「入れなおします」 「俺がやるよ……あんたも汗を流して来てくれ。その間にメシを用意しておくから」 牧師の家事能力にはいささかならず不信を募らせるクレイグは、さっさとバスルームへ牧師を追いやるのだった。 冷凍しておいた黒パンを解凍し、オイルサーディンとピクルスを挟んだサンドウィッチが出来上がった頃、牧師が水滴滴る黒髪をタオルで擦りながら現われた。 「バスローブ、お借りしましたよ」 テーブルの上の食料に目をみはり、感嘆の声を上げる。 「魔法みたいですね。冷蔵庫は空っぽだったのに」 「ただパンに挟んだだけだぞ?」 「すみません。食材は口に入ればいいという生活が長いので」 無粋なことを言いながら大したこともない「食材」に見入っている。 上気したうなじが匂い立つように艶かしい。 クレイグは思わず目を反らし、サンドウィッチにかぶりついた。 ややはだけた胸元が妙に扇情的で、同じ男でありながら目のやり場に困ったのである。 「ところでウォレン・カイブルが関係しているという、あなたの根拠は?」 サンドウィッチに手を伸ばしながら、牧師がさり気なく言った。 クレイグは、指先を軽く顎に添えて頬杖をつき、入れなおしたコーヒーを覗く。 「アーサー・カイブルとダリューの確執は、気が弱くなった程度で修復できるようなものじゃなかった……たとえそのご仁が死を予感しても…な。存在そのものを認めようともしなかった孫だ。ダリューにも当然これまでの恨み辛みがあるだろう。それがいきなりのホームドラマだ。そんな簡単に方向転換できるかよ。……それにダリューが付き添っているとはウォレン・カイブルは明言しなかった」 「えぇ、不自然ですね」 言って、牧師は口元に笑みを掃き、サンドウィッチを齧った。 「で…あんたは何を握ってる?」 「何をって?」 聞き返した声には格別構えたところも、空とぼけた様子もない。だがその演技をクレイグはすっきり無視した。 「エミグラントの内部事情には言及しない。……ティムの問題には関係ないからな。そこまで譲歩したんだから白状しろよ」 「――あなたが知ってのとおりですよ。……アーサー・カイブルはダリューを認めたくなかったんじゃなくて、抹消したかったんです。社会的に抹殺するだけでは生温い。存在そのものがあってはならいものだった。信じがたいことですが……死そのものを望んでいた。……もちろん自分の手は汚さず、自分の知らないところで消えてくれることをね」 唖然としているクレイグを置き去りにして、牧師がコーヒーを一口飲んだ。 「すでに神は去られた…か。あんたのマスターは相当なくそったれ野郎らしいな」 「えぇ…しばしば役たたずな卑怯者であったりもしますよ」 「それがあんたの教義か?」 「少なくとも今日の糧を得るために教会に来ないからといって、その信仰を疑うようなことはしたくありません。信仰により心の平安を願う方は数多くおられますが、まず食べられて生きていけることが基本ですから」 妙に老成した雰囲気を漂わせて、恬淡と他人ごとのように牧師が言った。 「ウォレン・カイブルがその目眩ましの役をやっていたのだと思います。彼がいなければダリューはとっくに消されていたでしょう。……ウォレンからダリューの不利になるような発言を引き出すのは難しいかもしれなせん」 「ではあとは実力行使のみだ」 言い捨ててクレイグは、リビングの壁の一面を占める収納家具の前に屈み込む。 「そういえば、あなたの部屋にはご自分の作品を置いていないんですね」 能天気に牧師が尋ねた。 「――凄惨なシーンを前に寛げるほど、人間が出来てないんでな」 クレイグは工具箱の中から押し込みに使えそうな道具を物色した。装備は大袈裟でないほうがいい。ポケットに納まる程度の方がベストだ。 こういう方面に長けたプロフェッショナルのアドバイスが欲しかったが、あいにく泥棒や強盗や盗品故買業者の名は電話帳で調べることができないから、自分で考慮せねばならなかった。だが十年前位の時代遅れのセンサーと電話回線と直結した警報システムならともかく(電話線を切ればいい筈だ)、パルス信号システムや埋没電線使用のものなら、正直なところお手上げだ。できればティモシーを確認する前にポリスと向かい合うのは御免被りたいものだが。 「警察にはどうします?」 「何も証明できないのでは、動きようがないだろう――まして相手は名士ってやつだ」 「そうですね」 「あんたは適当に休んでくれ」 最小限とおぼしき装備を整えて振り向く。途端にクレイグは固まってしまった。 「厭ですよ」 「――……あんた……何やっているんだ?」 素早く着替えを済ませた牧師は、コットンパンツの右裾をたくし上げ、足首の上に巻き付けた革のホルスターに、今まさにチーフスペシャルを差し込もうというところであった。 信じがたい光景にクレイグは目眩を覚える。 「……牧師がそんなもん持ってるのか?」 「――えーと…まぁお守り代わりです。……わたしがただ一人愛した女性の形見なんです……母ですけどね」 と、裾を整えてそれをクレイグの目から隠した。 「おふくろさんの…?」 物騒な形見を残す母親もあったものだ。 「残念ながら早くに亡くなりましたが。もちろん分別がつく年令になるまでは、育ててくださった神父に取り上げられていました。……捨てられてしまったのだろうと思っていたんですけど、母は文字通りこれしか残さなかったので、彼も捨てるに忍びなかったんでしょう」 まるで他人ごとのようにさらりと言ってから、牧師はクスクスと笑い声を洩らした。 「ありがちな話でしょう?」 「作り話か……?!」 リンフォード牧師は肯定も否定もしなかった。まだクスクス笑っている。 「――あんた、完全に職業選択を誤ってるぜ」 だが笑っていない牧師の目は、クレイグのGOサインを待っていた。
ウォレン・カイブルの住む高級アパートに着いたとき、人の家を訪問するにはやや躊躇う時間だった。そのまま車を走らせて地下駐車場への入り口を確かめ、少し先でブレーキを踏む。まだほとんどの窓が明るくさざめいていている中で、ぽっかりと穴が開いたように真っ暗な窓が幾つかあった。 「最上階の左端の部屋です」 牧師が示した場所は闇に沈んでいる。 クレイグは重苦しい予感に捉われた。もしダリューが在室していれば照明くらい点けるのではないだろうか。それとも、慎重にカーテンやブラインドで遮光しているのか。 その不安を汲んだように、 「念のため、在宅かどうか確認してきます。しばらく待っていてください」 牧師がしなやかに降り立つ。 すたすたとドアマンのことろまで歩いていき、天使もかくやという極上の微笑みを浮かべて話しかけた。 (たらしのテクニックは抜群だな) 街に立てば、一財産築くのも時間の問題だろう。 ふと脳裏をよぎった、自分の想像のあまりの突飛さと下世話さに嫌気がさして、クレイグは髪を掻きむしってハンドルに額を打ちすえた。 言葉を交わしていたドアマンが何事か頷き、扉を大きく引いた。牧師はにっこりと軽く会釈を返して中に入っていく。ほどなくして出て来たが、受付けのガードマンにも振る舞ってきたらしい微笑みはすぐに消えた。その白皙になんとも言い難い憂いが刷かれる。 「わたし達がここを引き上げて一時間後にウォレンは戻ってます。そのあとガレージから車が出ていきましたが、ウォレンや他の人間が同乗していたかは気づかなかったそうです」 「――完璧に近い警備システムと完全なるプライバシーってやつか」 猛る感情を隠したクレイグの声は表情を消している。 アーモンドシェイプの綺麗な黒瞳が長い睫毛の影を落とし、腹蔵なくクレイグを見ていた。 「もうここには――」 「ああ……いないだろう」
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