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唇には微笑みをたたえ



三章
<1>  <2>

<1> 

「俺は面倒臭いことは嫌いなんだ」
 クレイグは苦々しく吐き捨てた。
「毎朝ラッシュに巻き込まれて出勤するのも厭だし、触手も動かない写真を撮ったり、特ダネ探しにうろつくのも――」
「だからここを辞めたんだろ」
 乱雑なディスクの隙間に広げた原稿に目を向けたまま、モーバリーがちゃちゃを入れる。
「いつプロペラが止まるか分からないような飛行機や、おんぼろジープを乗り継いで、触手の動く写真を撮りにいく方が、よっぽど面倒だと思うがね」
「毎日あんたの顔を見ずにすむだけでもいいさ。どうせ亭主向きでも父親向きでもないしな。社会不適合者とでもなんでも言いやがれ」
「おいおい…ずいぶんナーバスだな」
 ほんの一瞬モーバリーの視線が掠めて、すぐに手元の紙切れに戻った。
「きみがプータローの素質充分なことはよく分かったよ。突っ立ってないで座ってくれ」
 部屋の片隅のソファを僅かに頭を動かして示す。
「それで、ティムは帰ったのか?」
「空港まで送ってきたところだ」
 尻の形にくたりと沈んだままのソファに腰を下ろし、その座り心地の酷さに、クレイグは顔を顰める。すでに寿命と誰に提言されても断固と買い替えないのは、客に長居されるのを厭うモーバリーの策略であろうか。
「ちゃんと見送ってやったかい?」
 どうせ見送りもせず帰ってきたのだろうと、言外に匂わす。クレイグの良心がしくりと疼く。
 ラッシュを考え、余裕を持って家を出たまではよかったのだ。たとえば大リーグとか(残念ながら贔屓チームは違っていたが)、学校の様子とか、活発ではなかったが話題も続いた。まぁ互いに触れたくない部分を避けていたのであるが。
 空港に早く着きすぎてしまった辺りからだろうか。
「もう帰ってもいいよ、パパ。搭乗手続きくらいできるから」
 息子はそっけなく言って、貝になった。チョコチップをちりばめた緑色のアイスクリームで迷彩色に染めた幼いばかりの唇と、大人びた台詞。
 無意識のうちに声が硬くなった。
「ママに向こうに着く時間は知らせたのか?」
「まだ。これ食べたら電話するよ」
「そうか。じゃ、気をつけてな」
 ペロリとアイスクリームを舐めて、ティモシーは黙って頷いた。
 単に感傷的になっているだけかもしれない。
 問い詰めてみれば、ほんのごく些細なことかもしれない。
  ただ、クレイグはそうしなかったし、しようとも思わなかった。息子にへつらうようでみっともないし、ご機嫌取りをしようとする大人の偽善など、呆気なく見透かされてしまうだろう――自分の子供時代と同じように。
 魚の骨が喉に引っ掛かったような痛みを引き摺りながら、クレイグは何歩か歩いた。
 ふと、何かが足を止めさせた。振り返ってみると、ティモシーはアイスクリームを睨んでいた。薄っぺらな肩が強ばっていた。
 躊躇って、そして声をかけた。
「クリスマスの予定がはっきりしたら、電話を入れるよ」
 ティモシーはちらと目を上げ、黙って頷いた。
 明らかによそよそしい二人は、よそよそしい状況のままに、よそよそしく別れた。それでも、こうなってしまったきっかけが未だ分からない、情けないクレイグであった。息子の寂しさなど想像もつかなかった。
「そんなこったろうと思ったよ」
 ようやく顔を上げたモーバリーは額を撫でると、大げさに溜め息をついてみせた。
「クレイグ、ティムと同じ趣味を持てよ。なんでもいいんだ。バスケットでも大リーグでもニンテンドーでも共通の話題があれば、違ってくるんじゃないか。自分が同じ年だった頃を考えてみろ。オヤジさんにキャッチボールしてもらった頃をさ」
「分かってるさ。俺だけじゃなく、たぶんティムもな。それでもどうにもならない事もある。それに……俺は父親を知らない。母に男はいたが、酒を呑んでいるか、俺や母を殴ることしか脳のないろくでなしだった」
 ふいに、モーバリーは天井の一角にとても興味をそそられたらしかった。
「どうにもならないか……世の中そっちの方が多いものだよ」
 穏やかに訓戒をたれ、ついと立ち上がったモーバリーは「休憩だ」とすたすたと部屋を出ていった。  開けっぱなしのドアから、廊下に設置された自動販売機が稼働する音がした。紙コップに入った飲み物を二つ取ってきて、モーバリーはテーブルの上に置いた。
「奢りだ」
「恐いな」
「コーヒー一杯だぜ」
 モーバリーはとぼける。
「いまどき赤ん坊すら誤魔化せない」
 カップの底が透けてそうな熱いそれを一口飲んで、向かいに座るモーバリーに疑惑の視線を突き刺したが、いうまでもなく相手は我関せずで悠然とコーヒータイムを楽しんでいる。
「そういえば…あのえせ牧師には会えたんだろ」
「お陰さまでな。人を玩具にして遊ぶんじゃない…友達なくすぜ」
「とんでもない。きみに  喜ばしきちょっとした驚き   サプライズパーティー をプレゼントしただけさ」
 モーバリーは明らかに面白がっていた。ソファの背によりかかるとワイシャツのポケットから煙草の箱を取出して一本くわえ、クレイグにもすすめる。クレイグは首を振った――空港からここに来るまでの間、煙突のごとく吸いまくっていたから。
 モーバリーは煙草に火をつけ、長い煙を吐き出した。紫煙が二人の間のテーブルの上に当たって跳ね返る。
「誰にでもレクリエーションは必要なんだよ」
 その声に妙な緊張が感じられた。

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<2>

 改めてモーバリーを眺めなおす。
 そのポストに見合う程度にいい身なりをしているのはいつも通りだ。だがくたびれている。ワイシャツもネクタイも思わせ振りに向ける目も、すべて疲れているように見える。
(何か…動いている)
 大きなネタを掴んだのかもしれない。クレイグに押しつけたエミグラント目覚めの謎も、ひょっとしたら絡んでいるのか。
「俺以外のヤツと遊ぶなら趣味として認めてやるよ」
「それじゃつまらん」
 モーバリーはにやりと笑った。もう一口煙草を吸い、それを使って二本目に火をつける。
「で、どうだった?」
 ほんの僅かの間、クレイグは紫煙が目に染みたように目を眇め、意識して感情をまじえず、一本調子な声を出した。
「密造酒を作る地下組織がある。実際にはおそらく爆弾テロを目論んでいると俺はふんでる。しこたま呑んで煙草をくわえればきっと爆発するぜ……そのくらい強烈な酒だ。マッドサイエンティストが見境無くエンジンを盗んでいるが、地下組織とタイアップして装甲車でも作っているんだろう。軍事機密を引き出せそうな敏腕ハッカーもいるから、もしかしたらステルスに対抗する戦闘機を研究しているのかもしれん。もちろん指導者はあの牧師だろう。なんといってもオムレツが作れないのは怪しい。……こんなところでどうだ?」
「……悪かったよ」
「エミグラントに郡警察が目をつけてるって言ってたよな。今追っているヤマと関係ありか?」
「……分からん」
「ジョン――」
「本当さ……いや、おそらく直接関係はないよ。どちらかというと副産物ってヤツだな。実際、エミグラントの名前が出てきても大して問題にしていなかったんだ。思わぬ大物とコネがあっても、金の出所に怪しげなところはあるにしても、人間七、八十年もやってりゃそんな奇跡が起きるのやもしれん……カポネの隠し財産が見つかったとかな」
「ジョ〜〜ン」
「ジョークだって。まぁ本音を言えば、年寄りの行動力に高をくくっていたし、郡警察の方も――犯人隠匿容疑だが――善意の第三者ということで決着してるからね。ところが、あの牧師だ。……おとなしく牧師に納まってるようなタマじゃないだろ、リンフォードは」
「四年も前から潜り込んでいたのに?」
「分からなかったんだよ。端から問題にしていなかったんだ。それに名前が違うし、当時はヤツは神父だったんだぜ」
「神父時代は洗礼名だったからな。出生証明書はレスター・リンフォードだ。……しかし信じられないね、ジョン・モーバリーがそんなポカやるなんて」
 ポカした男はフンと鼻を鳴らした。偉そうにそっくりかえる。ソファの上で落ち着きなく躰を動かすと、尻の下のスプリングが不気味に抗議の声を上げた。
「ときには僕の網から零れることもある…その九十九パーセントは雑魚(ざこ)さ」
 モーバリーはまるで零れた方が悪いような言い方をした。たぶん、本当にそうなのだろうとクレイグは認めた。
 実際の話モーバリーの情報量たるや、自負するに値するものがあるのだ。やたら愛想を振り撒いているようで、ところがどっこい、話がすんでみたらまんまと自分が狙っていたものは手中におさめている。
「見習い牧師としてはトウのたったのが一人いる……そいつか?」
「たぶんな。アーサー・カイブルって名に聞き覚えは?」
「大金持ち」
「ふざけるなよ」
「いわゆる、町の名士ってやつだろ。町というにはシカゴは規模がでかいが。……まだ生きてたのか」
「あぁ、まだな。カイブルが鼻風邪でもひきゃシカゴは肺炎と言わしめたご仁さ。法曹界の重鎮でもある。青信号でも彼が赤と言えばそれは赤だし、白を黒にすることなぞ朝飯前だね。知事すらカイブルの手足にすぎない。……それでも人生には終わりが来る」
「……なるほど」
「今はサボイ・ホテルのスウィート並みの病院で療養中だ。実務では次男のウォレン・カイブルが動いているが、実権はアーサー・カイブルが握っている。長男のノリス・メンドーサは十八年前に交通事故死」
「メンドーサ?」
「彼は一族で唯一の良識家だったんだ。いや逆かな…おとなしくしていれば確実に手に入る莫大な資産も名声も捨てて、駈け落ちするっていうのは。そのときカイブルの名を捨てている。そして彼には忘れ形見の息子がいるはずなんだ」
「それが見習い牧師か」
「おそらく、ね」
「何だ、未確認なのか」
「カイブル側のガードがおそろしく堅いんだ。公式の場には一度足りとも出たことがない。それどころか存在そのものを隠そうとしているみたいだ」
「孫、なんだろ」
「身内はウォレンとこの孫だけだよ。ウォレンは結婚してないからね」
 モーバリーはディスクの上からファイルを持ってきた。取り出した写真をクレイグに差し出す。
「十一年前の写真だよ、隠し撮りだからピンボケだが。ノリス亡き後アーサー・カイブルは孫を手元に引き取ってる。そこまでは確かだ。その後が掴めなかった。州外の寄宿校に預けたらしいが、表立ってカイブルの名前が出てこない以上、お手上げだよ」
 色褪せた写真の中に愛らしい少年がいた。
 柔らかそうな金色の巻き毛に縁取られた頬はふっくらピンク色で、光の加減か、はたまたピンボケゆえか、ブルーグレーの瞳は夢見るように、あるいは泣いているように煙っている。
 ちょうど今のティモシーと同じ年頃のようだが、見違えようもなく、
「ダリューだ……見習い牧師とするにはかなり無理があったけどな」
「お前に対する牽制だよ……もしくは世間的な」
「なぜエミグラントなんだ?」
「だから副産物なんだよ。身を隠すにはなかなかの穴場だと思わないか? 排他的で、年寄りばかりで、世間から忘れられた町。さらに禁酒法時代は警察のガサ入れや対立組織の襲撃を想定して、抜け道やら隠し部屋が用意してあっただろうし、それがいまだに生きていることは充分考えられるよ」
「それが金を産んだ――辻褄は合うか。当局がよく黙っているな」
「逃亡犯を匿うなんてミスったのは過去に一度だけだ。犯罪には関わらないようにかなり注意しているだろう。刑期さえ満了してれば問題にならないだろ。……隠匿した金を元に新天地で再出発しようって連中が、痕跡を消すためにいっとき身を隠しても」
「あるいは遺産相続のもめ事とか?」
 モーバリーは頷いて言った。
「でもダリューの場合はちょっと違うようだ。相続問題が起きるとしたらウォレン・カイブルと対立するのはダリュー・メンドーサってことになる。ところがその甥っ子の面倒を見ているのもウォレンらしい。アーサー・カイブルの目から隠してね」
 クレイグはしばしモーバリーの顔を見つめ、やがて部屋に充満する紫煙に気づいた。かつての二枚目が吸い続けた煙草で、灰皿はいつしか一杯になっていた。この分じゃ毛根までヤニが染みついているだろう。
「面白かったよ。続きはまたの機会に聞かせてくれ」
「おい、聞き逃げかよ」
「失念しているようだが俺はカメラマンなんだぜ。それに――」
「面倒臭いことは嫌いなんだろ」
 物分かりの良い友人にクレイグは頷いて、感謝の笑みを贈った。
「唯一の例外はティモシーさ。ティムだけは俺に面倒をかける権利があるからな」
「景品にあの牧師をつけてやるぞ」
「バーカ」
 クレイグは立ち上がった。
 あんなの貰ったら、それこそやっかい事が群れなしてくっついてくるじゃないか。
 ドアの方に歩きかけたクレイグの背中に声がかかった。
「でも、たぶんきみは放っておけないよ」
 クレイグはもちろん、そうは思わなかった。

 だがモーバリーは冴えていた。
 もしかしたら予知能力を授かったのか、黒魔術の奥義を極めたのかもしれない。
 その夜、フラットにクレイグが戻ると電話線の向こうでエレンが待ち構えていた。母親らしい心配を滲ませた声が、ほんの少しの皮肉と、とんでもない衝撃を伝えてきた。
『ティムが帰らないけど、あなたと遊び惚けて日にちを間違えているのかしら、クレイグ』
 反射的に腕時計に視線が走らせたが、確認するまでもない。ティモシーが搭乗したはずの飛行機が二往復してもお釣りがくるだけの時間が、すでに経過している。
 クレイグの不運は強い伝染力を以て、周囲の人間に波及効果をもたらしているようだった。
 クレイグは空港会社に電話をして、些細な事故一つなく、滞りなく今日の業務が終了したことと、ティモシーが搭乗していないことを確認して、途方にくれている。
 モーバリーは昼間の長すぎた休憩のツケがまわってヒーヒーしていることろに、ティモシー失踪の連絡を受けるハメになった運命を呪っている。
 パーカーは、やっとチューンナップしたばかりの可愛いボーヤが行方知れずとなったことを嘆いている。
 オーテンショーは一つ二つ咳をしただけで早々に奥方にベッドに押し込まれたし、その奥方ミルドレッドは折角のジャムを焦がして悲しんでいる。
 あのリンフォード牧師ですら困惑に見舞われていたのだから。
 実際の話、誰も彼もなんらかの意味で不運な夜を迎えていた。
 ただ一人、それを免れたのはダリューだったかもしれない。
 少なくとも主観的には――


 もっとも、ダリューにはどうでもいいことだった。下肢から沸きおこってくる官能の波動に、ダリューの躰は忠実な反応を示すのに忙しかったから。
 喘ぎとも呻きともつかぬ声を散らし、足はまといつく相手を求めてシーツの上を緩慢に蠢く。
 切なげな吐息をついて、滑らかな喉が反りかえり、あと少しというところで、巧みになぶる手を捕らえた。
「いやだ……っ」
 乱れた呼吸の中から絞りだす拒絶は哀願のようだ。
「……ウォレ…ン」
 悲鳴のように男の名を呼び、背を震わせて切羽詰まったようにしがみつく。次の瞬間、足でシーツを蹴り、腰をよじって抱擁を振り払うと、相手の躰に飛び付き、足の間に身を沈めた。
「ちゃんと、愛してっ……誤魔化しじゃ、厭だ」
 ダリューは唇に情熱を込めて、ひた向きに男に愛撫をほどこした。
 だが、くすぶる官能に淡く血を昇らせたダリューを見つめる瞳に、欲情の翳りはない。動きにつれて揺れる髪を、行為に惑溺するのを宥めるようにゆっくりと愛撫する。それでも、やがて応えてしまうのは物理的な刺激に弱い男の生理だ(獣の本能ともいうが、すけべなだけか?)
 ウォレンはダリューの嬌態に促されるように体位を入れ替え、青年の躰を組み敷いた。
「どうするつもりだ…ダリュー」
 ウォレンの瞳に、言い知れぬ悲哀の色が滲んでいた。
 こめかみに押しあてた唇が囁く低音が、心地よい男の重みが青年の熱い躰に甘く染みわたる。
 その言葉の重さに思いを馳せる余裕もなく、ダリューの意識は、内側を貫き、うごめく熱い塊に酔い痴れるのだった。

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