その頃―― 大都会の只中に位置するシカゴ・タイムスから遠く離れたエミグラントの、平均年令七十歳のマフィアの本拠地では、はなはだ緊張感のない密談の真っ最中であった。 まばらな白髪と豊かな髭が対照的な、齢八十七になるオーテンショーであるが、樫材の堅い背もたれに預ける背筋はすっきり伸びて、現役振りを誇示しているかのようだ。 窓を反射している西日がその力を失いつつある、午後のひととき。 テーブルの上には温かいミルクティーと、オーテンショー夫人お得意のジンジャークッキーが並び、ちょっとした(井戸端会議に近い)ティーパーティーの雰囲気である。 「ところでカイブルさんは落ち着かれましたかね」 「ダリューですか。いえ、落ち着いたとはとても。この上の部屋を提供しましたが、可哀相なくらいピリピリしていますよ。わたしを信用するには至らないのでしょうけど。……オーテンショーさんは彼をどう見ますか?」 「すべてに投げ遣り、ですか。しかし牧師さんがお尋ねの意味とは違いましょうね。さて……牧師さんはもしや、この前滞在された方の苦い思い出を気にしてますかな」 「それもありますが」 「同じ轍は踏まんですよ。過ちは一度でたくさんですからな」 「疑うようなことを言って申し訳ありません。そんなつもりではないんですが。この前のことで当局に睨まれたばかりですので、臆病になっているんでしょう」 長老にして、エミグラントの町長といった役どころのオーテンショーは、痰が絡んだかすれ笑いを洩らした。町の平均年令を下げる一旦を担う、二十六歳の青年牧師に向ける瞳も楽しげな笑みに溶ける。 「ホッホ…これは失礼。牧師さんが臆病者だとしたら、ほかの人間の居場所がなくなりましょうなぁ。そんな気の毒なことをしちゃ神様に叱られますよ。でも用心にこしたことはありませんからな…そこはほれ、牧師さんに判断していただきましょうか」 「……オーテンショーさん、逃げましたね」 「亀の甲より年の功、ですな」 「長老さんにはかないませんね……」 老人がミルクティーを一口含み、満足そうに小さく頷くのを見て、牧師は溜め息混じりの微笑みをカップに隠すのだった。 ややあって、 「ところで、牧師さん」 「はい」 「何かいいことがありましたかな」 「そのように見えますか?」 カップから離した目の前に、子供のような好奇心というには少しばかり邪念が混じる皺深い顔が突き出される。 油断も隙もあったものじゃない。それこそ子供の頃から培ってきた鉄壁のポーカーフェイスを見抜かれるとは。つくづく、老人は侮れないものだと胸に呟いく青年牧師だが、無論、自分が同じ穴のむじなとは露ほども疑わない。 「懐かしい友人と再会できそうなんですよ」 「ほう、それはそれは」 オーテンショー氏は笑みにさらに皺を深く刻み、幾度となく頷いて言った。 「ずいぶんと大切な方のようですな」 慎ましくも魅惑的な微笑みが、それに応えた。
その教会は、ひょっとしたら由緒正しい歴史を綴ってきたのかもしれないが、少なくともクレイグの目にはおんぼろアパートの一角を間借りしているようにしか見えなかった。 ひび割れて、ところどころ欠け落ちた外壁や、下に覗く苔むした赤煉瓦の下地が、年期の入り具合を示している。ドアの前にぶら下ったクロスがなければ、誰も教会とは思わないだろう。 迷わずにたどり着いたのは、ひとえにモーバリーが差し出した地図のおかげといえる。 つい勘違いしてしまいそうだが、親切心からでは、もちろんない。 すでに準備は怠りなく、犠牲者を物色していたと見るのが順当だ。その網に見事引っ掛かったのがクレイグだったのだろう。 非常に面白くない気持ちを呑み込み、少し遅れて歩いてくるティモシーを待った。沈みゆく陽光が未練たらしく大気を薔薇色に染める頃。弱々しい街灯や窓から漏れてくる光が、ティモシーの足元の四方に薄い影を落としている。 「知らない町だ。あまり離れるんじゃない」 「うん……でも治安はいいって……」 「ジョンは統計から話しているだけだ」 ティモシーはちらりと父親を見上げ、すぐ目を反らして小さく肩をすくめた。 息子のよそよそしい態度は、一向に和らぐ様子はない。考えるまでもなく、その心当たりには不自由しないクレイグとしては、胸の中で舌打ちをするしかない。 近頃では珍しい木製のドアを引くと、油の切れた蝶番がキィと軋んで来客を告げた。 薄暮が落ちる内部は距離感が掴みにくい。入り口間近のサイドテーブルには、常夜灯らしいスタンドが淡いオレンジ色の明かり。年月が染め上げたとおぼしき漆喰の壁にはラファエロ擬きの油絵が一枚。 正面に据えた祭壇。樫材の三人掛けのベンチが、暗い影のように整然と並んで教会らしい体裁を整えていたが、質素なことこの上ない。 祭壇横のドアが軋むこともなく滑らかに開き、爽やかな声とともに部屋に光が満ちた。 「何かご用ですか」 その瞬間、自分の喉が「グ」とも「ゲ」ともつかぬ情けない音を立てたのを、クレイグは遠くに聞いた。 人の形をとって現われたサプライショックは、白いコットンシャツと黒のパンツに若草色のカーディガンを羽織り、エプロンをつけている。 その唇が緩やかなカーブを描くのがコマ送りのごとくスローテンポに見えたのだから、クレイグの混乱振りはかなりのものだといえよう。 唖然と呆然を綯い交ぜにした気分から自分を取り戻したのは、数呼吸ののち。 ティモシーはと見れば、夕映えを思わせる照明の中、鮮やかに登場した青年と、目を剥きだした父親とに、忙しく視線を走らせていたのだった。 「お久しぶりですね、クレイグ」 「パパ、牧師さんと知り合いだったの?」 二つの声が、思いっきりエコーをかけた幻聴のように聞こえたのは、気のせいか…?
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