いつのまにか微睡んでしまっていたらしい。忍び入ってきた冷たい風にひやりと頬を撫でられ目を覚ます。
「おや、先客か。お邪魔かな」
書斎のドアを閉めながら聞こえてきた声はウォレン叔父のものだった。
目の前のマントルピースでは灰になりかけた薪がこそりと崩れる。
問い掛けの返事を待つこともなく暖炉の前の安楽椅子に座ると、すぐその横で寝そべっていたダリューは弾かれたように起き上がった。
広げたままの本を引き寄せてかぶりを振る。
「ぼ…ぼくこそごめんなさい。すぐに出て行きます」
「別にいいよ。きみの方が先に来ていたんだし」
微かに口元を緩ませながら、ウォレンは立ちすくんでいる少年が胸元に抱えた本を見遣る。
「森林の写真集? 好きなの?」
「――きれいだから……」
視線を落としたままで少年はぎこちなく答えた。
いつものことだ。見目もかたちもいいのに、どこか影が薄い。暗がりの中で震えながら様子を窺う小動物のような、四方から押し縮められた印象を受ける。
もっともあんな役目を押しつけられていたら、こうなって然るべきかもしれない。
「座りなさい。好きなだけ見ていていいから」
自分でも思いがけない言葉が出たのは、少年に対する同情ゆえか。ウォレンはひどくやさしい気持ちになっている自分に苦笑する。
その柔らかく響く言葉はダリューにとっても驚きだった。
この屋敷に引き取られて三年になるが、声を掛けられることすら稀なのだ。財力を誇示するような贅沢な屋敷は、だが、少年にとって寒々しい場所でしかなかった。
戸惑いながらちらりと目を上げる。
すでにウォレン叔父の関心は何かの書類に移っているらしく、見向きもしない。
男は亡くなった父の弟だが、記憶にある父とは全然似ていなかった。そして、父親似の自分とも。
背が高く、肩幅の広いがっしりとした体つきや意志の強そうな整った顔立ちを、憧憬の眼差しで見つめている自分に気づき、ダリューは慌てて視線を外した。
ウォレン叔父に背を向けて、今まで寝そべっていたムートンの敷物の上におずおずと腰を下ろした。こくりと小さく喉を鳴らして緊張を飲み下し、立てた両膝の上に写真集を広げる。
いつしか少年はその世界に没頭していった。
窓に映る木立ちが部屋に落ち着いた翳りを落とす。晩秋の午後の柔らかい木洩れ日が、少年の淡い金髪に反射している。
この細い身体が父の危うい精神の均衡を保っているのだ――ウォレンは不思議な感慨に耽った。
少年の引き取りを強く勧めたことが苦かった。
兄亡きあとも、その裏切りを許せない父。その激しい感情を、兄の面影を濃く残した少年が一身に集めることになるとは。
金の翳りを帯びた淡緑の虹彩。白く滑らかな頬。ほっそりした首筋。父にとってはこの美しさすら憎悪の対象であり、執着する原因なのだろう。そう思うと少年が哀れだった。
ふと、少年が顔を上げた。自分を凝視する視線にたじろいだように、視線を泳がせる。
男は苦笑混じりに、
「それはどこの景色なんだい?」
見開きの一面を金色に染めた写真集のページを目で示す。
「落葉樹林の紅葉ですって。山全体が金色になるなんて夢みたいでしょ――」
ダリューが唐突に言葉を切って、「ごめんなさい」と呟く。
柔らかそうな唇が微かに震えて、少年の瞳が金色の睫毛に隠れる。
「何を謝っているのかな。わたしが訊いたんだよ」
考えてみればこの屋敷の中に、少年が気安く言葉を交わす相手は誰もいない。わけの分らぬままに祖父の醜い感情を受け止めさせられ、ただ押し込められている。
彼は――いつか壊れてしまうのかもしれない。
「ダリュー?」
名前を呼ばれたことに驚いたように、少年は顔を上げた。大きな瞳を大円に見開いて男の視線を受け止める。
寂しげな表情に飢えが過ぎる。その切なげな色が、男の胸をついた。
ウォレンは安楽椅子の上で窮屈に身を屈めて、唇を重ねた。
少年は眉をひそめて、日に焼けた精悍な顔を見上げたが、すでに征服され、服従することを刻み込まれた身体は強張ったものの、逃げようとはしなかった。ただ黙って、男の様子を窺っている。
「きみが寂しそうでね……堪らなくなった」
ゆっくりと立ち上がった男の長い指が顎を捕え、仰向かせる。強張って凍てついた表情のダリューに、強引に接吻する。
それは深く甘美で、官能を知るものには悦びを思い出させるのに充分な熱く暗い口づけだった。
いつしか身体から力が抜け、躊躇いがちに口づけに応えようとする少年を敷物の上に横たえる。シャツのボタンを外しながら深く舌を絡める。
受け入れるとも拒むともつかない動きでダリューの指が男の服の背中を掴み、そして床に滑り落ちた。
少年の着衣の胸元を大きく押し広げ、少年期のしなやかな裸体に幾度か軽く口づける。
ダリューの唇が震え、懸命に言葉を絞りだす。
「……ぼくを……愛してくれるの?」
すがるような眼差しだった。それを切望している眼の色だった。
こめかみに、頬に、そして唇にそっとやさしく口づける。
「ああ……愛してあげよう」
男を見詰める淡緑の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
はだけた胸元から滑り込んできた手の巧みな愛撫に陶然としていく心がある。
そのやさしさは初めてだった。声がかすれるほど泣き喚かされる行為しか知らない。
男は首筋から肩にかけて唇を押し当てながら、片手で軽々と少年の身体を折り曲げてゆっくりと腰を貫いていった。
苦痛に身を強張らせ、少年は反射的にウォレンの胸を押しのけようとするかのように両手をついたが、その手は力なく垂れて顔を覆った。
「苦しいか、ダリュー……?」
耳元に名を囁いた瞬間、少年の身体が甘やかな反応を見せた。かぶりを振りながら自分の髪をかき上げる表情が、苦痛から戸惑いに、そして陶酔へと静かに変わっていく様をウォレンは見詰めていた。
ダリューの両手が泳ぎ、男の首にしなやかに絡む。自分の内部を熱く貫き、所有する男が突き上げる動きに腰を合わせる。
促がすように腰を軽くしめつけてきた少年の求めに応じ、ウォレンはえぐり上げた。
上気した顔に金髪がまつわりつく様は、たとえようもなく艶かしい眺めだった。
紛れもなく歓びの表情で喘ぐダリューに、やさしく唇が重なる。両手を男の髪に差し入れ、ダリューも唇に応える。
華奢な身体を熱くしているエロスの炎。
愛を享ける側の身体に官能の喜悦を与える肢体。
狂おしいほど愛してくれと、全身がきしむように訴える。
開きかげんで喘ぐ唇が、
「もっと……愛して……」
男に接吻を誘っている。
――End
1995年チラシ用作品に加筆。ちょっとえっちくさくしてみました(笑) |